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金メダルの先にある卓球――老いる中国と、小さな白球

上海の世界卓球健康フェスティバルが残した、64人の指導者と8団体への卓球台

柔らかな光が差す架空の地域の運動室。使い込まれた卓球台に白球と赤いラケットが置かれている。AI生成イメージ。
AI生成のイメージ画像。実在の大会・施設を撮影した写真ではありません。

世界大会が終わったあと、何が残るのだろう。

金メダルだろうか。それとも、優勝した選手の名前だろうか。

10月20日から25日まで、中国・上海で「世界卓球健康フェスティバル」という大会が開催された。

参加したのは、パーキンソン病やアルツハイマー病のある人たちである。

22の国と地域から200人を超える選手が集まり、シングルスやダブルスなどで競い合った。指導者や付き添い、学術会議の参加者も含めると、35の国と地域から340人以上が登録したという。

10月26日、主催した国際卓球連盟(ITTF)の基金会が大会の終了を報告した。

その記事を読んでいて、私が気になったのは、誰が優勝したかという話ではなかった。

大会に先立ち、中国各地から集まった64人の指導者が、病気のある人のための卓球指導を学んでいたという。

さらに、大会で使用した卓球台を、病院や地域の運動施設など8団体に寄贈するというのである。

10月29日には、その寄贈と地域での継続活動について、基金会が改めて報告した。

メダルは、優勝した選手が持ち帰る。

しかし、卓球台は上海の病院や街の施設に残る。

こちらの方が、今の中国にとっては大きな意味を持つのかもしれない。

中国人が大切にしてきた「国球」

中国で卓球といえば、単なるスポーツではない。

「国球」と呼ばれる特別な競技である。

世界選手権や五輪で、中国選手が圧倒的な強さを見せてきたことは、日本の卓球ファンにもおなじみだろう。

中国では、卓球の強さが国家の誇りと結びついてきた。

選手たちは厳しい競争を勝ち抜き、世界の頂点を目指す。国家代表チームには、優秀な指導者や練習相手、競技を支えるさまざまな専門家が集められてきた。

中国の競技スポーツを語るうえで、卓球ほど分かりやすい成功例はないかもしれない。

だが、今回の上海大会では、少し違う光景が広がっていた。

会場となったのは上海交通大学の霍英東体育センター。

10月20日の開会式には、国際卓球連盟の徐寅生名誉会長や、中国卓球協会の王励勤会長らが出席した。

どちらも中国卓球の歴史を語るうえで欠かせない人物である。

その彼らが、今回は世界の頂点を争う大会ではなく、パーキンソン病やアルツハイマー病のある人たちの卓球大会を支えていた。

もちろん、試合である以上、勝ち負けはある。

選手たちはそれぞれの競技区分でメダルを目指し、真剣にプレーした。

しかし、ここでの卓球には、もう一つの目的がある。

病気があっても、ラケットを握り、仲間と身体を動かす。

そして、大会が終わったあとも、卓球を続けていく。

世界一になるための卓球ではない。

卓球をすること自体に、意味を見いだすための大会なのである。

白いボールを追うために

パーキンソン病は、身体の動きが遅くなったり、筋肉がこわばったり、手足に震えが生じたりする神経の病気である。

歩行や姿勢の維持が難しくなる場合もある。

一方、アルツハイマー病では、記憶や認知機能の障害が日常生活に影響を及ぼしていく。

いずれも、本人の症状や進行の程度には個人差がある。高齢者に多い病気ではあるが、高齢になれば必ず発症するというものでもない。

では、なぜ卓球なのだろうか。

卓球では、小さなボールの動きを目で追い、相手が打ってきた方向に合わせて身体を動かす。

ラケットを振るときには、腕だけでなく、身体のバランスも使う。

しかも、相手がいる。

ボールを打てば、また打ち返される。ラリーが続けば楽しいし、失敗すれば残念に思う。

そうした動作や交流が、運動機能や日常生活を支える活動として期待されているのである。

ただし、ここは慎重に考えなければならない。

今回の大会が開かれたことによって、卓球がパーキンソン病やアルツハイマー病を治療できると証明されたわけではない。

パーキンソン病については、適切な運動が身体機能や生活の質を改善する可能性を示す研究がある。しかし、卓球をすれば病気の進行が止まると断定できるものではない。

症状によっては、転倒などの危険にも注意が必要だ。

医師や専門家の助言を受け、本人に合った方法で運動することが大切になる。

それでも、病気があるからといって、スポーツを楽しむことまで諦める必要はない。

今回の大会が示したのは、まず、そのことなのだろう。

64人の指導者が学んだこと

今回の大会で、私が特に注目したのは、64人という数字だ。

ITTF基金会は9月、中国卓球協会や上海卓球協会と協力し、病気のある人への指導方法を学ぶ研修を実施した。

中国各地から64人の指導者が参加したという。

中国には、卓球を教えられる人材が豊富にいる。

しかし、卓球が上手な人に教えることと、病気によって身体の動きに制約がある人に教えることは、同じではない。

例えば、通常の練習であれば、指導者はより速いボールを打つことや、正確なフォームを身につけることを求めるかもしれない。

だが、パーキンソン病のある人にとっては、速いボールを返すことよりも、無理のない姿勢でラケットを振ることが重要になる場合もあるだろう。

その日の体調によって、できることが変わる人もいる。

指導者には、相手の状態を見ながら、練習の内容や強度を調整する力が求められる。

競技力を高めるための指導とは、少し違うのである。

実際、10月17日と18日には、大会に参加する46人のパーキンソン病の選手を対象に、事前の練習会が開かれた。

ここでは、9月の研修を修了した指導者6人と、上海市の卓球チームに所属する選手10人が、基金会の専門スタッフとともに練習を支えたという。

競技スポーツの選手が、病気のある人の運動を支援する。

中国が長年にわたって育ててきた卓球の技術や人材を、これまでとは違う場所で生かそうとしているわけだ。

もちろん、64人が研修を受けたからといって、その全員が今後継続的に指導を行うとは限らない。

指導者としての活動を続けるには、受け入れ先の施設や運営費用も必要になる。

それでも、単発の大会を開催するだけでなく、教える人を育てようとしたことは評価したい。

卓球台を用意するだけでは、スポーツは続かないからである。

卓球台が8団体に残った

大会が終了したあと、ITTF基金会は10月29日に追加の報告を発表した。

題名は「上海に残るもの」。

なかなかよい題名である。

大会で使用された卓球台が、病院や地域施設など8団体に寄贈されたという。

寄贈先には、上海の華山医院や龍華医院、上海交通大学、黄浦区の市民運動施設、長寧区周家橋街道の地域運動施設などが含まれている。

医療機関もあれば、大学もある。地域住民が利用する場所もある。

ここが興味深い。

卓球台を病院に置くだけなら、医療やリハビリテーションの一環として考えることになる。

しかし、地域の運動施設にも卓球台を置けば、病院の外でスポーツを続ける機会が生まれる。

病気のある人が、患者としてだけではなく、一人のスポーツ愛好者として街に出ていく。

そんな可能性が広がるのである。

もちろん、卓球台が寄贈されたことと、その施設で継続的な活動が定着したことは別だ。

実際に何人が利用し、週に何回練習できるのか。

指導者は配置されるのか。利用料はどうなるのか。病気の状態に応じた安全管理はできるのか。

そうしたことは、まだ十分に確認できていない。

ただ、今回の取り組みが、会場での表彰式だけで終わらなかったことは確かである。

大会のために用意された卓球台が、今度は街の中で使われる。

小さなことのように見えるが、スポーツを日常生活に根付かせるためには、こうした積み重ねが必要なのだろう。

上海には、すでに卓球仲間がいた

実は、上海の取り組みは、今回の大会から始まったわけではない。

ITTF基金会の報告によると、上海ではすでに、パーキンソン病のある人を対象とした卓球活動が続けられていた。

徐寅生氏が提唱し、王励勤氏らが支援してきた活動である。

上海には「帕友之家」と呼ばれる、パーキンソン病のある人たちの交流拠点が3カ所あり、定期的に卓球の練習が行われているという。

「帕友」とは、パーキンソン病のある人たちが、仲間同士を呼ぶときなどに使う言葉だ。

直訳すれば、パーキンソン病の友人といったところだろうか。

病気を持つ人を、単に治療の対象として見るのではない。

同じような経験を持つ人たちが集まり、一緒に運動を楽しむ。

そうした意味が込められているのだと思う。

上海市の卓球協会は、地域の行政組織や運動施設、病院などと連携し、指導と医療面からの支援を組み合わせているという。

長寧区の周家橋街道では、地域の卓球活動と医療を結びつける試みが進められている。

地元の卓球大会にも、パーキンソン病のある選手の部門が設けられているそうだ。

私は、今回の国際大会そのものよりも、むしろこちらに関心を持った。

世界中から選手が集まる大きな大会は、確かに華やかである。

しかし、病気のある人にとって本当に大切なのは、大会が終わった翌週にも、また卓球を楽しめる場所があることではないだろうか。

仲間と約束して、いつもの施設に出かける。

ラケットを握り、しばらく身体を動かす。

練習が終わったら、また次に会う日を決める。

特別なことではない。

しかし、そうした日常を維持することが難しい人もいる。

今回の上海大会が意味を持つとすれば、そうした人たちが日々の生活の中でスポーツを続けられる仕組みを、少しずつ広げていけるかどうかにあるのだと思う。

3億人を超えた高齢者

中国はいま、急速に高齢化が進んでいる。

国家統計局によれば、2025年末の60歳以上人口は3億2338万人。総人口の23.0%を占める。

65歳以上に限っても、2億2365万人に上る。

3億人を超える高齢者。

改めて数字を見ると、その規模の大きさに驚かされる。

もちろん、高齢者がみな病気を抱えているわけではないし、パーキンソン病やアルツハイマー病が高齢者だけの問題というわけでもない。

元気に働き、旅行やスポーツを楽しんでいる高齢者も大勢いる。

ただ、人口の高齢化が進めば、身体機能の維持や慢性疾患への対応、地域での交流の場づくりなど、社会が考えなければならない課題も増えてくる。

中国では長い間、スポーツを通じて国家の強さを示すことが重視されてきた。

五輪で何個金メダルを獲得したか。

世界選手権で何人の優勝者を出したか。

そうした数字は、中国のスポーツ政策を評価するうえで、重要な指標だった。

だが、3億人以上の高齢者が暮らす社会では、別の数字も必要になるのではないだろうか。

例えば、地域で定期的に運動している高齢者は何人いるのか。

病気のある人が、安全にスポーツを楽しめる施設はどれだけあるのか。

そして、一度始めた運動を、どれだけの人が続けられているのか。

世界チャンピオンの数ではない。

スポーツを日常生活の中で楽しめる人の数である。

中国の「国球」にとっても、これからはそうした価値が問われるようになるのかもしれない。

強い選手を育てるだけでは足りない

ただし、上海で今回のような取り組みができたからといって、中国全土ですぐに同じことができるわけではない。

上海には、大きな病院があり、大学があり、卓球協会もある。

卓球の名選手や指導者が活動を支援し、国際大会を開催できる環境も整っている。

中国のすべての都市に、同じ条件があるわけではない。

人口の少ない地方都市や農村部では、病気のある人が利用できる運動施設や、専門的な知識を持つ指導者を確保することも、簡単ではないだろう。

家から施設まで、誰が連れて行くのかという問題もある。

一人で外出することが難しい人の場合、家族や介護者の協力が必要になることもある。

病気の状態によっては、卓球より別の運動の方が適している人もいるはずだ。

だから、今回の上海大会をきっかけに、全国各地で卓球台を増やせばよいというだけではない。

大切なのは、卓球をしたい人が、安全に、無理なく続けられる環境をつくることである。

中国が競技スポーツのために積み上げてきた人材や施設を、そうした目的にも活用できないだろうか。

今回の64人の指導者研修は、その一つの試みといえる。

だが、研修の修了者が実際に地域で活動し、病院や福祉関係者と連携しながら継続して指導するところまで進まなければ、その成果は限定的なものにとどまる。

世界大会を一度開催することと、日常的なスポーツ活動を支えることは、別の仕事なのである。

金メダルを取らなくても、卓球はできる

今回の大会では、元五輪金メダリストの閻森や、オランダの卓球界で活躍したベティーネ・フリーセコープらが、参加者とラリーを楽しむ催しも行われた。

世界のトップで戦ってきた選手と、病気のある人たちが、同じ卓球台を挟んでボールを打ち合う。

考えてみれば、なかなか象徴的な取り組みである。

中国では卓球の世界チャンピオンは、特別な存在だ。

国家を代表し、世界の強豪を倒し、金メダルを持ち帰る。

そのために、幼い頃から厳しい練習を積んできた人たちである。

しかし、卓球の魅力は、世界チャンピオンだけが持っているわけではない。

上手にボールを打ち返せなくてもよい。

毎回、ラリーが長く続かなくてもよい。

その日の体調に合わせて、少しだけ身体を動かすことにも意味がある。

もちろん、競技である以上、勝つことに喜びを感じる人もいるだろう。

実際、今回の大会でも、各国から集まった選手たちが真剣に勝敗を争った。

病気があるからといって、勝ちたいという気持ちまで失うわけではない。

重要なのは、勝つことだけが、卓球を続けるための条件ではないということだ。

国を代表する選手になれなくても、卓球を楽しむことはできる。

世界一を目指さなくても、毎週、仲間とラケットを握ることはできる。

それもまた、スポーツなのである。

白球が残る場所

10月25日、上海の世界卓球健康フェスティバルは閉幕した。

選手たちはメダルや思い出を持ち帰り、それぞれの国や地域へ戻っていった。

大会が終われば、会場は片付けられる。

しかし、今回はそれで終わりではなかった。

64人の指導者が研修を受け、病院や地域施設など8団体に卓球台が寄贈された。

それらが今後、どれだけ活用されるかは、まだ分からない。

大会が終わったあとも練習を続ける人が増えるのか。

専門の知識を持った指導者が、地域で活動を続けられるのか。

そして、上海で始まっている取り組みを、ほかの地域にも広げていけるのか。

その成果が見えてくるのは、これからだろう。

中国は、長年にわたって卓球の強さを追い求めてきた。

その結果、世界の頂点に立つ選手を数多く生み出し、優秀な指導者や充実した競技環境を育ててきた。

今度は、その力を、病気のある人や高齢者の日常にも生かそうとしている。

もちろん、卓球だけで高齢化社会の問題を解決することはできない。

医療や介護、地域の支援体制を整えることが必要なのはいうまでもない。

それでも、卓球が好きな人が、病気になったあとも卓球を続けられる。

これまで卓球をしたことがなかった人が、仲間に誘われてラケットを握る。

そんな場所が街の中に増えていくのであれば、それも中国卓球の大きな成果ではないだろうか。

五輪で金メダルを何個取ったか。

これまで中国の「国球」は、そんな数字で語られることが多かった。

だが、世界一になれるのは、ほんの一握りの選手だけである。

一方、卓球台を挟んでボールを打ち合うことなら、もっと多くの人が楽しめる。

今回、上海に残された卓球台で、来週も、その次の週も、誰かがボールを打っている。

そんな光景が続いていくのなら、金メダルとは違った意味で、中国の卓球は強くなったといえるのかもしれない。

<了>


参考資料

※大会の参加者数、指導者研修、卓球台の寄贈、地域での活動状況は、国際卓球連盟基金会および上海市体育局の公表資料に基づく。筆者自身が上海の大会を現地取材したものではない。運動の健康上の利点と、パーキンソン病やアルツハイマー病そのものへの治療効果は区別した。また、卓球台の寄贈は確認されているが、寄贈先での長期的な利用実績は未確認である。

筆者について

SPORTS CHINAでは、当時の取材記事を再公開するとともに、現在の中国スポーツを政策、経済、文化、社会の観点から分析・論評している。

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