2008年8月8日、北京五輪の開会式当日。北京の街は、朝から異様な熱気に包まれていた。
国家体育場、通称「鳥の巣」の周辺には、中国国旗を手にした大勢の市民が集まり、若者たちが「中国、加油!(がんばれ、中国!)」と声を張り上げていた。
浙江省杭州市からやってきた大学生の女性は、五輪のチケットを一枚も持っていなかった。それでも、どうしても北京に来たかったのだという。五輪の雰囲気を味わいたかった、と目を輝かせて話してくれた。
当時の様子は、「市民の熱気ムンムン! 熱く燃えた8月8日」という記事に書いた。
あの日、人々を街へ駆り立てていたのは、国家的なイベントへの興奮であり、中国人としての誇りだった。
あれから18年。
今度は、中国人が山へ向かっているという。
10月16日、北京の昌平区で開幕した「2026中国アウトドアスポーツ産業大会」で、国家体育総局が「中国アウトドアスポーツ産業発展報告(2025~2026年)」を発表した。
それによると、中国のアウトドアスポーツ参加者は5億人を超え、関連産業の総規模は約3兆1700億元に達したという。
5億人。
日本の総人口をはるかに上回る数字である。
ただ、これほど大きな数字を示されると、かえって、その中身を知りたくなる。
中国人は、本当にそれほど山登りやキャンプを楽しむようになったのだろうか。そもそも、この5億人は、どのように数えられたものなのか。
今回の発表には、中国スポーツの新しい可能性とともに、数字だけでは見えてこない問題も含まれているように思う。
5億人は、何をしているのか
まず、数字の意味を確かめておきたい。
今回の報告で示された5億人超という数字は、第14次五カ年計画が終了した2025年末時点のものだ。
対象となるアウトドアスポーツには、登山やトレッキングだけでなく、ランニング、キャンプ、スキー、水上スポーツなど、さまざまな活動が含まれていると考えられる。
だが、国家体育総局が公開した報告の解説では、参加者を数えるための詳しい基準や推計方法は示されていない。
例えば、週末ごとに山に登る人と、旅行先で一度だけスキーを楽しんだ人は、同じように数えられているのだろうか。複数のスポーツを楽しむ人は、どのように集計されているのだろう。
この点が分からない以上、5億人を日常的なアウトドア愛好者の実人数と受け取ることはできない。
ちなみに、前年の報告では、2025年4月初めの時点で参加者が4億人を超えたとされていた。
それから5億人超へ。
一見すると、短期間で1億人規模の参加者が増えたようにも見える。しかし、両者の調査条件が同じかどうかは確認できないため、そのまま増加人数として扱うのは難しい。
もっとも、こうした留保を付けたとしても、中国でアウトドアスポーツが大きな産業として位置付けられるようになったことは間違いないだろう。
報告には、それを裏付ける別の数字も並んでいる。
2025年末時点で、全国の各種フィットネス歩道やトレイルは18万2000カ所、総延長は約43万キロ。スキー場やスケート場などの氷雪スポーツ施設は2626カ所に達した。
これらの歩道には都市部などの施設も含まれ、すべてが山岳トレイルというわけではない。それでも、人々が屋外で身体を動かすための施設が、中国各地に整備されていることは分かる。
かつて中国のスポーツといえば、国が優秀な選手を選抜し、徹底した英才教育によって世界の頂点を目指す「挙国体制」の印象が強かった。
もちろん、それは今も中国スポーツの重要な一面である。
だが、今回の報告に登場するのは、金メダルを目指すアスリートではない。
山を歩き、川で遊び、雪の上を滑る、ごく普通の人々なのである。
スポーツを楽しむ場所が、街の外へ広がる
中国では以前から、公園や広場で身体を動かす習慣が根付いていた。
太極拳や健康体操、ジョギングなど、仲間と集まって楽しむ運動は、都市の日常的な風景の一つだった。
それは競技スポーツというより、健康づくりであり、人々の交流の場でもあった。
今回の報告からは、そうした身体を動かす習慣が、山や川、湖、雪原といった、より広い場所へ展開するための環境が整いつつあることがうかがえる。
特に興味深いのが、競技大会の増加である。
報告によると、2025年には全国で594大会のマラソンが開催され、延べ639万8700人が参加した。
また、山岳トレイルランニングは258大会が開催され、29の省・自治区・直轄市に広がった。参加者は延べ約54万人に上る。
いずれも延べ人数であり、実際に何人が参加したかを示すものではない。
それでも、都市の道路を走るマラソンに加え、山や自然の中を走る大会が全国に広がっていることは注目してよい。
なぜなら、こうした大会は、スポーツそのものだけでは完結しないからだ。
参加するために現地へ移動し、宿泊し、食事をする。大会が終われば、周辺の観光地を訪れる人もいるだろう。
主催する地方政府にとっては、それが新たな観光客を呼び込む機会になる。
大都市から離れた山間部であっても、美しい自然や変化に富んだ地形があれば、それ自体がスポーツの舞台となる。
これまで農業や観光以外に大きな産業を持たなかった地域にとって、アウトドアスポーツは、新しい可能性を秘めているというわけだ。
地方都市が支えるアウトドア市場
その動きを考えるうえで、報告にはもう一つ興味深い数字がある。
アウトドアスポーツの消費において、中国の三線・四線都市と呼ばれる地方都市の比率が42%に達したというのである。
また、消費者層のうち、19歳から49歳までが76.16%を占めたとされている。
つまり、アウトドアスポーツの市場は、北京や上海などの大都市だけでなく、地方都市にも広がっている可能性がある。
ただし、42%という数字についても、公開解説からは、消費額、購入件数など、何を基準に算出した割合なのかまでは確認できない。
そのため、地方都市がアウトドア消費額全体の42%を占めた、と断定することは避けたい。
それでも、三線・四線都市が報告の中で大きく取り上げられていることは見逃せない。
中国の地方には、豊かな自然に恵まれながら、経済発展の面では大都市に後れを取ってきた地域が少なくない。
こうした地域が、アウトドアスポーツを産業として育てようとしている。
しかし、山に人が集まれば、それだけで地元が豊かになるのだろうか。
大会の開催には、道路や施設の整備、警備、救護体制の確保など、相応の費用がかかる。観光客が増えれば、ごみや交通渋滞、自然環境への影響も避けては通れない。
一時的に宿泊施設がにぎわったとしても、その利益がどれほど地元に残るのかは、別の問題である。
自然を観光資源として活用することと、その自然を守ること。
中国の地方都市がアウトドア産業を育てていくうえで、いずれ問われることになる課題だろう。
18年前に見えていた「スポーツの市場化」
今回の報告を読んでいて、2008年の北京五輪開会式で、聖火の最終走者を務めた李寧(リーニン)のことを思い出した。
李寧は、中国を代表する体操選手として活躍したあと、自らの名前を冠したスポーツ用品メーカーを設立し、実業家として成功を収めていた。
その李寧が、国家の威信をかけた北京五輪の開会式で、最後に聖火を掲げたのである。
私は当時の記事で、この人選を中国スポーツの市場化を象徴する出来事として捉えた。
金メダルを獲得するためのスポーツから、経済的な価値を生み出すスポーツへ。
国家がスポーツに求める役割は、すでに当時から変わり始めていたのだ。
ただ、18年前と今とでは、市場の姿が少し違う。
当時、スポーツビジネスの中心にいたのは、李寧のような有名選手であり、プロスポーツであり、北京五輪のような巨大な国際大会だった。
ところが、今回のアウトドアスポーツには、必ずしも有名選手は必要ない。
普通の会社員が休日に山を歩く。家族でキャンプへ出かける。若者たちが仲間と自転車で遠出する。
そうした日常的な行動の一つひとつが、スポーツ用品や交通、宿泊、飲食といった産業を動かすことになる。
スポーツを通じて経済を動かそうという考え方は、18年前と変わらない。
ただし、その担い手が、トップアスリートや大会の観客から、普通の生活者にまで広がっているのである。
国家のために勝つスポーツから、自分のために楽しむスポーツへ。
この変化は、中国スポーツを考えるうえで、かなり大きな意味を持つのではないだろうか。
自由に山を楽しむための「管理」
もっとも、自然の中でスポーツを楽しむ人が増えれば、それだけ危険も増える。
2021年5月、中国のアウトドアスポーツ界を揺るがす事故が起きた。
甘粛省白銀市景泰県で開催された100キロの山岳トレイルランニング大会で、21人の参加者が死亡したのである。
大会中に急激な天候の変化が起こり、強風や雨、気温の低下によって、多くの選手が身動きを取れなくなった。
だが、問題は悪天候だけではなかった。
その後、甘粛省の調査では、大会運営の不備や安全対策の不足、救援体制の不十分さなども明らかになった。
自然の中で行うスポーツには、競技場とは違う危険がある。
そして、その危険を個人の経験や判断だけに任せることには限界がある。
今回のアウトドアスポーツ産業大会で、産業規模の発表と並んで注目されたのが、中国独自の衛星測位システム「北斗」を利用した大会管理システムの始動である。
国家体育総局と中国時空信息集団が共同で立ち上げたもので、登山やトレイルランニング、水上スポーツ、航空スポーツなどを対象にしている。
専用端末を利用した位置情報の把握や異常の検知、緊急時の救助活動などを支援する仕組みだ。
さらに、危険性の高い大会について、全国的な情報の集約や危険度に応じた管理を進めるという。
携帯電話がつながらない山奥でも、衛星を利用して位置情報や緊急信号を送ることができれば、救助に役立つ可能性は高い。
ただし、今回確認できたのはシステムの始動であり、全国の大会で導入が完了したということではない。
また、システムがあれば事故を防げるというわけでもない。
天候が悪化した際に、誰が大会の中止を決断するのか。危険な区間に十分な救護要員を配置できているのか。そもそも、主催者に大会を安全に運営する能力があるのか。
そうした基本的な問題が解決されなければ、いくら高度な技術を導入しても、安全は確保できないだろう。
一方で、北斗による管理システムは、別の問いも投げかけている。
自然の中で自由に身体を動かすことが、アウトドアスポーツの魅力の一つである。
その安全を守るために、どこまで国や主催者が参加者の行動を把握し、管理するべきなのか。
少なくとも、位置情報の収集や利用については、目的や範囲を明確にする必要がある。
中国のアウトドアスポーツが拡大していく中で、自由な活動と安全管理をどう両立させるのか。これも今後の重要なテーマになりそうだ。
5億人の向こうに、どんな休日があるのか
さて、改めて5億人という数字に戻ろう。
国家体育総局の発表からは、中国がアウトドアスポーツを成長産業の一つとして重視していることが読み取れる。
しかし、3兆1700億元という関連産業の総規模についても、その内訳や算出方法を確認しないまま、国民がアウトドアスポーツに使った年間消費額と考えることはできない。
大きな数字を示すことは、中国の政策発表では珍しくない。
だが、スポーツが社会にどれだけ根付いているかは、産業規模だけでは測れないはずだ。
例えば、北京市内で働く会社員は、週末にどれほどの時間と費用をかけて山へ向かうのだろう。
地方の若者たちは、都市部から訪れる観光客と同じように、地元の自然を楽しめているのだろうか。
そして、大会を誘致した地域では、観光客が帰ったあと、地元の人々に何が残るのだろう。
こうしたことは、今回の報告だけでは分からない。
2008年の北京五輪を取材していた頃、中国スポーツを語る際には、どうしても国家や金メダル、五輪といった大きなテーマが中心になっていた。
しかし、あの頃の中国にも、競技場とは無関係に、日々身体を動かし、仲間とスポーツを楽しむ人々がいた。
今回のアウトドアスポーツの広がりは、そうした生活の延長線上にあるものなのかもしれない。
一方で、かつては無料で楽しめた自然や余暇が、商品やサービスとして売り出されるようになった側面もあるだろう。
スポーツを楽しむ選択肢が増えたことと、そのためにお金を使う機会が増えたことは、必ずしも同じ意味ではない。
そして、山や川で過ごす時間が増えることが、そのまま人々の生活の豊かさにつながるとも限らない。
今、中国政府はアウトドアスポーツに大きな期待を寄せている。
だが、私が知りたいのは、5億人という数字そのものよりも、その一人ひとりがどのような時間を過ごしているのか、ということだ。
北京五輪から18年。
競技場の外に目を向けると、中国スポーツの、また違った姿が見えてくるのかもしれない。
<了>
参考資料
- 国家体育総局「中国アウトドアスポーツ産業発展報告」解説(2026年10月20日)
- 国家体育総局「2026中国アウトドアスポーツ産業大会開幕」(2026年10月)
- 国家体育総局「アウトドア大会の安全に北斗が始動」(2026年10月)
- 新華社「中国のアウトドアスポーツ参加者は5億人超」(2026年10月17日)
- 甘粛省白銀市のトレイルランニング事故調査結果に関する報道(央広網、2021年6月)
※「中国アウトドアスポーツ産業発展報告(2025~2026年)」の全文および参加者数・産業規模の詳細な算出方法は、今回確認した公開資料では確認できていない。

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