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ユニホームを脱いだあと――中国の選手たちの「次の仕事」

19年前、北京の体育学校で考えたこと。上海で始まった職業転換の取り組みから、中国スポーツの現在を読む

ハードルを越えていた選手が、今度は大学の教壇に立つ。

水球の選手は中学校の教師になり、サッカーの選手は街の行政に携わる。

10月20日、中国・上海の華東理工大学で、スポーツ選手の引退後の仕事を考える講座が開かれた。

「新賽場・新起点――上海市優秀運動員職業発展大講堂」

新しい競技場、新しい出発点。そんな意味の名前である。

上海市体育局などが主催したこの講座では、現役時代に活躍した選手たちが、競技を離れてからの経験を紹介した。

登壇した一人が、男子110メートルハードルの謝文駿(シエ・ウェンジュン)である。

アジア大会で2度優勝し、中国を代表するハードル選手として長く活躍した。2026年に正式に現役を退き、現在は華東理工大学の教員として、新しい仕事に取り組んでいる。

このほかにも、水球選手だった孫亮は中学校の教師に、バレーボール選手だった楊婕は若い選手の育成現場に、女子サッカー選手だった王雨茜は都市管理の仕事に就いているという。

いずれも、競技とは違う場所で新しい人生を歩み始めた人たちである。

何とも前向きな話だ。

しかし、私はこのニュースを読んで、別のことを考えた。

こうして人前で経験を語れる選手たちは、引退後の仕事を見つけることができた人たちでもある。

では、そうではなかった選手たちは、どうしているのだろう。

中国には、幼い頃から競技に打ち込み、国家代表を目指してきた選手が大勢いる。

その人たちは、ユニホームを脱いだあと、いったい何者になるのだろうか。

2007年、北京の体育学校で見たもの

この問題には、私自身も以前から関心を持っていた。

2007年11月30日、スポーツナビに「中国スポーツのエリート教育に変化の兆し」という記事を書いた。

翌年に北京五輪を控え、中国が金メダルの獲得に向けて、選手の強化を進めていた頃である。

私が取材に訪れたのは、北京中心部にある什刹海体育学校だった。

「世界王者の揺りかご」と呼ばれる名門校で、当時、約600人の選手候補が在籍していた。

校内には近代的な施設が並び、中庭にはデッキチェアが置かれていた。休憩中の生徒たちが、ジュースを飲みながら話をしている。

随分と開放的な雰囲気だと思った。

しかし、体育館に入ると、空気は一変した。

体操の練習場では、まだ小学校に入るかどうかという年齢の子どもたちが、平均台や鉄棒に取り組んでいた。

失敗しても、また挑戦する。コーチの厳しい声が響く。

私は当時、コーチの叱責に思わず身を硬くしたことを記事に書いている。

優秀な子どもは選抜され、北京市代表、さらに国家代表へと進んでいく。

その一方で、一定の年齢になっても見込みがないと判断されれば、競技の道を離れることになる。

私は、そんな選手育成の仕組みを、毎日が選抜の連続だと表現した。

もちろん、世界の頂点に立つためには、厳しい練習が必要なのだろう。

だが、そこには一つ、大きな問題があった。

選ばれなかった子どもたちは、そのあとどうなるのか。

当時の中国では、選手としての成功を目指すあまり、普通の学校教育を十分に受けられないケースも問題になっていた。

競技の世界で結果を残せなければ、今度は学歴や資格が求められる社会に戻らなければならない。

しかも、その時には、同じ年齢の若者たちがすでに大学に進み、就職の準備を始めているかもしれない。

スポーツに人生を懸けてきたことが、必ずしも次の仕事につながらない。

そんな矛盾を、私は19年前の記事で指摘していた。

金メダルを取れなかった選手たち

当時、中国では引退選手の生活問題がたびたび報道されていた。

世界選手権で金メダルを獲得しながら、引退後はアルバイトで生計を立てる元選手。

生活費を得るために、かつて獲得したメダルを売ろうとする人。

そうした話は、中国スポーツの華やかな成功の裏側として、社会の関心を集めていた。

私も2007年の記事で取り上げている。

ただ、注意しなければならないのは、これらは当時報じられていた問題だということだ。

現在も同じような状況が、同じ規模で続いていると断定できるわけではない。

それでも、根本にある問いは、今も変わっていないと思う。

中国の競技スポーツでは、国家や地方政府が有望な選手を選抜し、長い年月をかけて育成してきた。

選手は競技に集中し、世界大会で好成績を残すことを目指す。

結果を出せば、国家の栄誉となる。

では、その選手が競技を続けられなくなったとき、誰が次の人生を支えるのだろう。

選手本人の努力だけで解決できる問題ではないはずだ。

幼い頃から専門的な競技生活を送ることが、制度として組み込まれてきたのであれば、そこを離れるための準備も、育成の一部として考える必要がある。

金メダルを獲得するまでが、選手の人生ではない。

競技を離れたあとにも、その人の生活は続いていくのである。

上海では10年間に969人が引退した

では、現在の中国では、引退選手をどのように支援しているのだろうか。

今回、上海の取り組みを調べると、いくつか興味深い数字が見つかった。

上海市体育局によれば、2026年6月には92人の優秀選手が正式に引退した。

2017年から2026年までの10年間では、合わせて969人が競技生活を終えているという。

もちろん、これは上海市の対象選手についての数字であり、中国全国の引退選手数ではない。

それでも、一つの都市だけで、毎年これだけの選手が競技を離れているのである。

そして、その全員が著名な選手というわけではない。

五輪でメダルを獲得した人もいれば、国家代表には届かなかった人もいるだろう。

それぞれが、次の仕事を考えなければならない。

上海では、引退選手の就職支援について、組織による配置と、自分で仕事を選ぶ方式の二つを設けている。

2025年に公表された説明によれば、組織による配置がおよそ70%、自主的な職業選択がおよそ30%だという。

これは、退役選手の進路選択の方式を示した割合であって、就職率ではない。

また、上海の制度が、中国全体の標準というわけでもない。

それでも、引退した選手をすべて本人任せにするのではなく、行政が仕事との橋渡しを行う仕組みがあることは分かる。

実際、2025年には38人の選手が、学校や体育学校などで職業実習を経験した。

引退後に学校でスポーツを教えることを想定した取り組みである。

2024年には、58人が職業転換の研修に参加し、そのうちとは別の実習実績として、35人が20の受け入れ先で3カ月間の実習を行ったことも報告されている。

これらの数字を見る限り、上海では、競技を離れた選手が社会に出るための準備を、少しずつ具体化しているようだ。

ただ、実習をした人が全員就職できたとは限らない。

どれくらいの人が希望する仕事に就き、そのあとも働き続けているのか。

そうした結果までは、今回の公表資料から十分に確認できなかった。

研修を受けた人数と、仕事を得た人数は、同じではないのである。

ハードルを越える技術は、教師の仕事に生きるか

今回の講座で、大学教員に転身した謝文駿が登壇したことには、象徴的な意味があると思う。

彼は中国を代表するハードル選手として、長い競技生活を送ってきた。

専門的な技術や練習方法については、豊富な知識と経験を持っているはずだ。

その経験を、今度は若い学生たちに伝えていく。

実に自然な転身に見える。

ただ、ここには一つ考えなければならないことがある。

ハードルを速く走れることと、人にハードルを教えられることは、必ずしも同じではない。

世界で活躍した選手であっても、初心者のつまずきを理解し、相手に合わせて指導するには、別の能力が必要になる。

競技の技術を知っているだけでは、学校の教師として十分とは限らないのだ。

それでも、選手として積み重ねてきた経験には、学校教育で生かせるものが多いだろう。

試合に向けて準備する方法。失敗したときの立て直し方。身体の状態を観察し、練習の内容を調整すること。

そして、目標に向けて、長い時間をかけて努力を続けてきた経験である。

ただし、そうした経験を、教育の現場でどう使うかを学ぶ必要がある。

今回の講座では、華東理工大学の葉心明教授が、競技で培った能力を教育の仕事に生かす道筋について講演した。

ここは大切なところだと思う。

選手として優秀だったから、教師としても優秀なはずだ。

そう決めつけるのではなく、競技で身につけたものを、別の仕事に合った形へと変えていく。

そのための教育が必要なのである。

元サッカー選手が、街の仕事をする

一方で、今回の講座には、スポーツとは直接関係のない仕事に就いた人も登壇している。

女子サッカー選手だった王雨茜は、現在、都市管理の分野で働いているという。

都市管理とは、道路や公共空間、街の秩序などに関わる行政の仕事である。

サッカーの技術が、そのまま役立つ仕事ではない。

では、競技を通じて身につけた何が生かせるのだろう。

例えば、チームで役割を分担すること。予定外の事態にも対応すること。相手の動きを見ながら判断すること。

そうした能力は、スポーツ以外の仕事でも必要になる。

ただし、都市管理の仕事には、関係する法令や行政手続き、住民との調整など、別に学ぶべきことも多い。

競技経験だけで務まるわけではない。

この点で、今年9月に新華社が報じた、もう一人の元女子サッカー選手の話が興味深かった。

高宏霞という女性である。

かつて中国女子代表の選手として活躍し、ワールドカップにも出場した。

全国大会では29回の優勝を経験したというのだから、相当な実績の持ち主だ。

しかし、2005年末に引退すると、2007年には上海の都市管理の仕事に就いた。

現在は静安区で、街の行政に携わっている。

9月に配信された新華社の記事では、彼女が長年にわたって住民の苦情や相談に対応してきたことが紹介されている。

競技場では、相手選手の動きを止めることが仕事だった。

今度は街で、人々の話を聞き、問題を解決することが仕事になった。

もちろん、サッカー選手だったから行政の仕事がうまくできる、という単純な話ではないだろう。

新しい職場で知識を身につけ、経験を重ねてきたからこそ、現在の仕事があるはずだ。

私は、そこに引退選手の職業転換を考えるうえでの大切な点があると思う。

競技で得た経験を評価することは必要だ。

しかし、それだけでは足りない。

その経験を、新しい仕事の中で生かせるようになるまで、学び直す時間も必要なのである。

「努力できる人」だけでは、仕事は見つからない

スポーツ選手の引退後の就職について語るとき、よく聞く言葉がある。

忍耐力がある。努力を続けられる。目標に向かって頑張れる。

確かに、厳しい練習を長年続けてきた選手には、そうした強みを持つ人が多いだろう。

しかし、それだけで仕事が見つかるわけではない。

企業や学校が人を採用するときには、具体的にどんな仕事ができるのかを考える。

文章を書けるか。パソコンを使えるか。人に説明できるか。必要な資格を持っているか。

仕事によって求められる能力は違う。

競技でどれだけ努力してきたとしても、それを採用する側に伝えられなければ、評価してもらうことは難しい。

今年の上海の講座では、就職支援の専門家が、引退選手に向けて職業選択の方法などを説明した。

また、上海市体育局が以前から行っている研修には、公文書の書き方や職場での人間関係、仕事に必要な基本的な能力を学ぶ内容もあるという。

一見すると、ずいぶん地味な話である。

しかし、私は、こうした研修にこそ意味があるのではないかと思う。

世界大会で好成績を収めた選手でも、初めて職場の書類を作るときには、戸惑うことがあるかもしれない。

何年もチームの練習日程に合わせて生活してきた人が、今度は自分で仕事の予定を管理しなければならないこともある。

競技場では誰よりも優秀だった人が、職場では新人になる。

そんな変化を、本人の努力だけで乗り越えろというのは、少々乱暴ではないだろうか。

そもそも、早くから専門の競技に集中する仕組みを用意してきたのは、スポーツを管理してきた組織でもある。

であれば、競技を離れるときに必要な教育や支援についても、一定の責任を負うのが自然だと思う。

2007年には「出口」を心配していた

ここで、19年前の記事に戻りたい。

私は当時、什刹海体育学校の子どもたちを取材しながら、中国のエリート選手育成の仕組みについて考えていた。

国家代表へ進み、五輪でメダルを獲得できるのは、ほんの一握りである。

では、それ以外の人たちの将来はどうなるのか。

記事では、体育学校が普通の学校教育との連携を模索していることも紹介した。

子どもたちを近くの小学校に通わせたり、学校の教員が体育学校へ出向いて授業をしたりする取り組みである。

競技に集中することと、普通の教育を受けることを、何とか両立させようとしていた。

その19年後、上海では引退選手に向けて、職業転換の研修が行われている。

大学や学校で実習を行い、教育や行政など、競技以外の仕事にも就けるよう支援している。

もちろん、これらは同じ学校や同じ選手を追跡したものではない。

2007年の北京の取材と、2026年の上海の講座を並べただけで、中国全体の制度がどれほど改善したかを判断することはできない。

ただ、競技生活の出口をどう用意するかという問題が、今も政策の課題として扱われていることは確かだ。

2026年には国家体育総局の基金管理センターも、引退選手の職業転換を支える研修や、教員・指導者になるための実習などを進める方針を示している。

かつての中国では、優秀な選手をいかに早く発掘し、強く育てるかが重視されてきた。

今は、それに加えて、競技を離れた選手が次の人生へ進むための支援も求められている。

少なくとも、政策が向いている方向は、そう理解できるだろう。

劉翔にも、引退後の選択があった

もう一つ、今年9月には興味深いニュースがあった。

中国陸上界のスター選手、劉翔の引退後の処遇について、上海市体育局が説明を行ったのである。

劉翔といえば、2004年アテネ五輪の男子110メートルハードルで金メダルを獲得した、中国スポーツを代表する人物だ。

2015年に競技生活からの引退を表明している。

ところが、今年9月、上海市体育局は、劉翔本人との協議を経て、職業転換に伴う人事関係の手続きを進めたと公表した。

市は陸上競技の管理職や技術責任者、体育系大学など、複数の配置先を提示したという。

しかし、劉翔は組織による配置を選ばず、自主的な職業選択を希望した。

その意思を尊重し、規定に基づいて経済補償金も支給したというのである。

競技生活からの引退と、公的な人事関係の整理が、必ずしも同じ時期に行われるわけではないことが分かる。

ただし、手続きが2026年になった理由の詳細や、その間の活動を、この発表だけから推測することはできない。

それでも、あれだけの名声と実績を持つ劉翔でさえ、競技生活を離れたあとの制度上の選択と無関係ではなかったことは興味深い。

もちろん、劉翔のようなスター選手と、一般の引退選手を同じ条件で比較することはできない。

むしろ、問題はその反対側にある。

名声も実績も十分ではない選手たちには、どのような選択肢が用意されているのだろうか。

競技で過ごした時間を、誰が評価するのか

結局、今回の上海の講座で問われているのは、競技で培った能力を社会がどう評価するかということなのだと思う。

ハードル選手だった人が教師になる。

サッカー選手だった人が行政の仕事に就く。

バレーボール選手だった人が、子どもたちに競技を教える。

それぞれが、自分の経験を違う場所で生かそうとしている。

こうした道が増えることは、歓迎したい。

ただ、引退した選手がみな教師や指導者になりたいわけではないだろう。

スポーツとは違う仕事に挑戦したい人もいるはずだ。

中には、競技生活の中で十分な教育を受けられず、一般の就職活動に不安を抱える人もいるかもしれない。

そうした人たちに対して、競技での努力や経験だけを評価すればよいとは思わない。

必要なのは、その経験を新しい仕事で使える能力へと変える機会である。

大学で学び直す。資格を取得する。企業で実習をする。新しい分野の仕事を、一から覚える。

もちろん、そのためには本人の努力も必要だ。

しかし、受け入れる企業や学校、行政の側にも、できることがあるのではないか。

選手時代の実績だけで採用を決めるのではなく、新しい仕事に必要な能力を身につけられるよう支える。

そのうえで、実際の仕事ぶりを評価する。

競技で過ごした年月を、単なる空白の時間として扱わない。

それこそが、スポーツ選手の経験を社会が受け取るということなのだと思う。

ユニホームを脱いだあと

10月20日の上海の講座では、7人の登壇者らが、引退選手の職業転換を支援する指導者として委嘱されたという。

今後も、こうした講座を続けていく方針だそうだ。

取り組みとしては、まだ小さな一歩かもしれない。

だが、引退選手に対して、次の仕事を考える機会を用意することには意味がある。

ただし、本当に評価すべきなのは、講座を何回開催したかという数字ではない。

そこに参加した選手たちが、実際にどんな仕事を見つけ、その後も働き続けられているのか。

その結果まで見ていく必要があるだろう。

2007年、北京の体育学校で見た子どもたちは、世界の頂点に立つことを目指していた。

あれから19年。

当時の子どもたちも、もう立派な大人になっている。

誰が競技を続け、誰が別の道へ進んだのか。私には、その一人ひとりの現在までは分からない。

ただ、今でも時折、あの体育館の光景を思い出す。

何度失敗しても、平均台に上がっていた小さな子どもたち。

あの子たちが、たとえ世界チャンピオンになれなかったとしても、それまで努力してきた時間が、無意味になるわけではないはずだ。

中国は、世界で勝てる選手を育てるために、長い年月をかけて仕組みをつくってきた。

今度は、競技を離れたあとも、一人の人間として働き、生活していける仕組みが必要になる。

ユニホームを脱いだあと、その人の人生は終わらない。

むしろ、そこからの方が長いこともある。

中国スポーツの強さを考えるとき、これからは金メダルの数だけでなく、そんな人生をどれだけ支えられているかにも目を向けたいと思うのである。

<了>


参考資料

筆者の過去記事

※2007年の什刹海体育学校の描写は筆者自身の当時の取材記事に基づく。2026年の上海の講座および登壇者の転身事例は、主催大学・中国新聞網などの公表情報によるもので、筆者が今回現地で取材したものではない。転身事例は紹介された一部の選手であり、中国全体の引退選手の就職状況を示すものではない。また、研修・実習への参加と、就職の成立・継続は区別した。