← 歴史的アーカイブ一覧へ「跳水王子」にもう二度と光が当たることはなかった。
中国「ドリームチーム」が華やかな演技を見せ、10種目中9個の金メダルを獲得した世界水泳選手権の「飛び込み」が終了したその日、一人さびしく、飛び込みの世界を去る「かつてのヒーロー」がいた。
26日、新華社は「跳水王子」こと田亮が正式に引退したと報じた。地元、陝西省の体育局が明らかにしたもの。責任者によると、引退は、田亮自身と当局が何度か話し合いの場をもって決定したもの。引退にあたり、田亮は「国家チームと社会各界の自分への関心に感謝したい」と述べた。今後は北京の名門、清華大学の修士課程に進む予定だということだ。
かつての「王子」はもう二度と、大観衆の前で、軽やかな演技を見せることはなくなった。
シドニー、アテネと五輪で2度の金メダル。そして世界選手権を3度、ワールドカップで15度の優勝を飾った田亮。その風貌から、「跳水王子」と呼ばれ、CMやテレビ番組に引っ張りだことなった。2004年アテネ五輪で余裕の金メダルをさらって、その知名度は世界レベルに。
だが、その後の「事件」によって、一気に彼は「体育当局の敵」に成り下がった。
では、この「田亮事件」について簡単に振り返っておこう。
アテネ五輪直後の2004年11月初め、次の”北京”に向けて再スタートを切る飛び込み国家チームの名簿の中に田亮の名はなかった。当局の説明によると過度な「商業活動(イベント、テレビ出演、CMなど)」を行ったため、とのことだった。実際、代表チームの合宿を欠席して、他の「商業イベント」に出席していた事実が明らかとなるなど、彼の行動は、その名声が高まるとともに、当局側の思惑と違う方向に向いていっていた。
2005年1月26日、国家チームを統括する国家体育総局水泳センターは、田亮の国家チーム”除名”を発表。その年の10月に行われた第10回全国運動会(日本の国体に当たるが4年に1度開かれる)では、優勝したものの、その大会の結果を踏まえた発表された国家チーム名簿にも田亮の名はなかった。
その後は大会に顔を見せず、2007年1月には、地元西安の体育学校のコーチに。そして2007年3月に、当局は「4月に開催される全国飛び込みチャンピオン大会に田亮は出場しない」と発表した。この大会は、オリンピックの選手選考、すなわち国家代表チーム入りにおいて出場が必須のものであり、実質的にこの時点で、田亮の「北京出場」はなくなった。先の全国人民代表大会で、田亮の代表復帰を求める異例の提案が出たが、それも功を奏さなかった。
そして、今回の「”任意”引退」である。
ただ、3月に「実質的な五輪出場断念」が報じられるまで、一貫して、田亮はオリンピックに向け、トレーニングを続けると記者団に対して語っていた。ただ、すでに指導者としての地元、西安で動き始めていたため、「奇跡の復帰」は非常に難しいだろうと考えられていた。
だが、やはりあの田亮の完成された美しいフォームがもう見られないと思うと非常に残念である。
基本的には、彼が「干された」理由はその”商業的行為”である。中国の「ドリームチーム」とも称される世界最強の「飛び込みチーム」のエースとして、端正なマスクと豊かなタレント性を備えた彼は当然、マスコミの引っ張りだことなった。おりしも、スポーツの「市場化」が進み、ようやく西側並みにスポーツが「金になる」体制が整いつつあるころであり、まさに彼は「時代の寵児」だといえよう。彼がこれまでイメージキャラクターを務めた企業は30社あまり。また同じく飛び込みのアイドル的存在である郭晶晶とのゴシップをはじめ、スキャンダルにも事欠かなかった。
中国はスポーツについて、「挙国体制」を強いており、いわゆる「三級体制」<体育学校を底辺に、省チーム、国家チームのピラミッド構造>をしき、才能ある運動選手たちは、この体制に入って、国家によって、育成され、最終目標であるオリンピックを目指すことになる。学校体育、クラブ体育の体制の中で基本的に「自己責任」によって五輪を目指す日本とは全く異なる。もちろん、今、そのあり方を見直す動きが起きているが、今のところ、中国のアスリートは「中国国家と人民のもの、財産」であり、その枠を抜け出て、「勝手な行動」を取ることは断じて禁止される。
選手たちは今のところ、「国家チームの練習、大会出場に支障をきたさない限り」という条件の下で、いわゆる商業活動が許されるもので、それにしても、オリンピック2年前の去年からは「基本的には禁止」との当局の”お達し”が出ている。それくらい、当局側は、選手たちの商業活動に手を焼いているのだ。
だが、選手たちにも言い分はある。国家チームに参加するアスリートたちは13億の中国人民から選ばれた特級のエリートだ。にもかかわらず、確かに衣食住は保証され、一般の人々よりはるかに恵まれているとはいえ、毎日練習に明け暮れ、待遇も決して十分に高いとはいえない。これまでの経済的に厳しい時代ならともかく、周りの彼らと同年代の若者が成功し、経済的に豊かになっていくのを見ていれば、自らの待遇に疑問も沸くだろう。加えて、スポーツ界にも進んだ市場化のおかげで、彼らアスリートの市場価値(広告価値)は著しく上がった。企業側も彼らをほうっておくはずはなく、次々の有名アスリートに触手を伸ばす傾向が、ここ10年ほどで顕著となった。
その象徴的人物が田亮だったといえるだろう。確かに彼は人民、祖国の手によって育てられたが、それはすでに五輪の金メダルで十分に返したはず。このあとは自分の能力に応じて、欧米のアスリートたちと同じように、「豊かになる」権利があるはずだ・・そう考えてもやむをえないかもしれない。
そもそも、スポーツの「挙国体制」と「市場化」は矛盾する概念であり、共存させようとするところに難しさがある。現在の中国スポーツ界は変化の真っ最中であり、この矛盾を抱えながら、成長していかざるをえない。田亮は、この矛盾の狭間に入り込み、ある意味、その犠牲になったといえるだろう。
この中国における「スポーツのあり方(誰のためのスポーツか)」と「スポーツを金にしてよいか?」という命題のすり合わせは、今後、中国が解決していかなければならない難題だといえる。その解決には、最終的には「三級体制」「国家チーム体制」そのものの是非まで考える必要があり、非常に難しい。
もちろん、この一元的な体制には大きな問題はあるが、少なくとも中国をここまでの「体育王国」に育て上げたのは、この「挙国体制」があったからであり、逆に日本には、こういった「公のサポート」が不十分なため、選手育成に経済的、システム的な困難がつきまとい、またスポーツ政策が”後手”にまわることが多いのである。
さて、話を元に戻そう。「ポスト田亮」だが、これが課題となりそうだ。今回の世界水泳選手権では、圧倒的な強さをみせた中国飛び込み陣がたった一つ、金メダルを落とした種目がある。それが田亮の得意種目、10m高飛込みである。すでに田亮の引退は織り込み済みとはいえ、この時期の引退発表は、非常に皮肉なものとなった。
今年は五輪1年前の中国スポーツにとって鍵となる年。「スポーツとは何か」という根本的な点も含めて、今回の田亮の引退は、多くを考えさせられるものとなった。
HISTORICAL ARCHIVE / 2007-03
跳水王子、寂しく引退
過去掲載記事をアーカイブから復元したものです。本文は当時の表記を維持しています。
出典・公開日時・復元状況
- 原掲載先
- スポーツナビ+/スポーツCHINA〜体育中国
- 筆者(原ページ署名)
- 朝倉浩之
- 当時の公開日時
- 2007/03/27 23:17 GMT+9
- 公開日時の根拠
- dc:dateとページ内日付・投稿時刻を照合一致
- 復元元URL
- http://www.plus-blog.sportsnavi.com:80/asa8043/article/54
- 保存日時(UTC)
- 2008-07-10T05:40:21Z
- Internet Archive
- 保存ページを開く ↗
- 本文の復元状況
- 保存本文を抽出し原HTMLと照合済み。保存前の欠落や編集履歴は未確認。
- 写真の復元状況
- 抽出した本文に画像参照はありません。
抽出した本文に画像参照はありません。
← 歴史的アーカイブ一覧へ