← 歴史的アーカイブ一覧へ1年ぶりに北京に降り立った。
帰国後、何だかんだと忙しく、気になっていながら、「五輪その後」を現地でウォッチする機会がなかった。
北京五輪が終わってほぼ1年。久々に歩いた北京のまちは、いい意味でも悪い意味でも、「五輪前」に戻っていた。
到着したその日はあいにくの濃霧。「今年最大の濃霧」とメディアが報じる霧の中を五輪前に開通したエアポート列車に乗って北京市内に入った。
北京には独特のにおいがある。いろんな食物や何だかんだのにおいが全部合わさったような、とても言葉では言い表せない、いいとも悪いともいえない匂いがある。それが五輪の前後には、突然消え去って、無味無臭の不自然な街になっていた。
だが、今回北京入りしたときには確かに、その匂いを感じることができて、なんだかほっとしたような、どこかに帰ってきたような、そんな懐かしさを覚えた。
見て分かる変わらないもの。
地下鉄のX線による持ち物検査は、五輪後もずっと継続している。テロ防止ということだが、五輪をきっかけに、地下鉄乗車時の持ち物検査を常態化させてしまったのだ。日本ならば、人権無視もはなはだしく、大きな問題になりそうだが、ここでは「自由」よりも「安全」を選択するということだろうか。
代わりに、地下鉄のチケット販売機は、紙幣にも対応していた。当初、マシンが取り入れられたときは、市民がほとんど使用していない1元コインしかしようできず、隣に両替専門の職員を置いて対応し、実質的に、まったく合理化できていなかった。
そして、さっき触れた「もわっ」とした空気と匂い。
一方で変わったものは多い。
私は数日間かけて、とりあえず五輪競技場を回って見るつもりだ。
今日は3つのメインスタジアム、野球・ソフトボール会場をめぐった。そして、五輪開催を終えた都市が直面する厳しい状況がよく分かった。
当局の発表によると、北京五輪は10億元の黒字になったそうだ。
204カ国から1万6000人の選手役員が参加し、世界中が色々な意味で注目した北京五輪。机上の計算では「大成功」という結論なのだろう。収支だけを見れば・・・だ。
ただ、各競技場を回り、そして関係者の話を聞いて回るうちに、それが所詮「机上」であって、本当の五輪への評価は、そんな表面的な数字では計り知れないものだということが分かってきた。
五輪の評価は何十年もあとの人々が決めるのだろう。だが、それを待ってはいられない。私たちの国も、東京が来月2日のIOC総会での「開催国決定」を待っている。
私は東京の五輪招致に基本的に賛成だが、それでも、五輪が都市にもたらす困難は身をもって体験しており、それらを客観的にあぶりだした上で、IOCの投票を待つべきだと思う。そして、もし仮に東京が開催国に選ばれれば、その「困難」をもっとつめた上で、2016年に臨まねばならない。誤解を恐れずに思っていることを言うが、東京都民の「目」は北京市民より何倍も鋭い・・・ことは間違いないと思うのだ。
ちなみに、こちらの報道では、前回のIOC評価書について、「東京が最有力」という判断をしている。他の都市が物理的な困難を持っているのに対し、東京はそれらは全てクリアした上で、開催・運営自体に直接影響をもたらさない「支持率」が低いことだけが大きな問題として取り上げられている・・・というのが、その「最有力」の判断材料のようだ。
だが、IOC委員の投票行動はそう単純ではない・・・というその話は、また別の機会に譲ろう。
まずは、5日間という短期間で、「五輪を終えた街」をウォッチして、「五輪がもたらしたもの」を今一度考えたい。そして東京の五輪招致について、改めて考える材料にしていただければと思う。
タグ:
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HISTORICAL ARCHIVE / 2009-09
「五輪の街」から見えるもの~現地リポート①
過去掲載記事をアーカイブから復元したものです。本文は当時の表記を維持しています。
出典・公開日時・復元状況
- 原掲載先
- スポーツナビ+/スポーツCHINA〜体育中国
- 筆者(原ページ署名)
- 朝倉浩之
- 当時の公開日時
- 2009/09/05 22:51 GMT+9
- 公開日時の根拠
- dc:dateとページ内日付・投稿時刻を照合一致
- 復元元URL
- http://www.plus-blog.sportsnavi.com:80/asa8043/article/522
- 保存日時(UTC)
- 2009-09-12T01:07:07Z
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